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愛って男から学ぶもの、でもない。
5.jpg

実家で飼っている猫、チロが死んだ。
19歳のシマシマの可愛い女の子。


彼女との出会いは、私が6歳の時。

夏休みのこと。
小学生だった私は、両親が共働きゆえ、夏休みの平日は自営業の祖父母の家に預けられていた。
妹は保育園で、遊び相手もおらず、宿題を猛烈な勢いで片付け、塗り絵をしたりお絵描きをしたり本を読んだり、日がな一日退屈で贅沢な時間を過ごしていた。

ある時、近所で迷い猫を拾った。
半ば強引に祖父母の家で面倒をみた。
茶色い縞のあるオス猫。
その日から日がな1日猫を眺めたりなでたり話しかけたりして過ごした。

でも、数日後に飼い主が見つかり、その猫はもとの家へ引き取られていった。

夏休みが明けても、ねこーねこー!とわめく私に、祖父が猫をもらってきてくれた。

近所の野良猫が生んだという、キジトラの遊び盛りの女の子。
小さな顔に、黄色いつり目。
ツンとした奇麗な顔をした彼女は、首に鈴をつけていた。

学校から猛ダッシュでかけつけた私を、少し緊張しながら見つめつつも、あんまり興味なさそうに階段に座っていた。
なんて可愛い子!!!!

毎週金曜日は、私の家族・従兄弟家族が祖父の家に集まるとう習慣があった。
母が家事をサボれる・祖父母が孫達の顔を見られる日だった。

でもチロが来てから、少なくとも子供達にとっては「チロに会える日」だった。

金曜日学校から帰ると、まずチロを探してなでなでする。
チロにとっては大変迷惑だとは思うが、たくさん遊んだ。

寝ている彼女の上に小銭を1枚づつ気付かれないようにおいていく。
コタツの中で寝ている彼女と、上半身をこたつに突っ込んでするトランプ。
お医者さんごっこ(もちろんチロが手術される)に釣りごっこ(もちろんチロが釣られる)。

勝ち気で野性味あふれる彼女は、狩りの達人でもあった。

ゴキブリなんて日常茶飯事。
名前がよくわからない虫や、蛾をパクッとくわえてくる。
ある時なんて、口からネズミのしっぽがちょろーんと出ていたこともある。
コウモリを間近に観察できたのは、彼女がコウモリを捕まえてきたからである。

いつもチロと遊んであげる、というより遊んでもらうという立場だった。

猫というのは構われすぎると鬱陶しく思う生き物で、子供達は安心して甘えられる存在ではなかった。
だからいつも、仕方なく付き合ってやっているという顔をしていたし、いきすぎると容赦なく引っ掻かれる。
血をだらだら流しながらも、私たちは皆チロが大好きだった。

あるとき、私がインフルエンザにかかり、学校を休んだ。
そういう場合も、母は仕事に出かけ私は祖父母の家に預けられる。

風邪や腹痛くらいなら、休みだ休みだとはしゃいでいた私も、この日は死んでいた。

昼間から延々、居間で座布団を枕にうつらうつらしていた。
少し遠くで祖父母が仕事をする音が聞こえる。

ふと気がつくと、私のすぐ隣、寄り添うように彼女が寝ていた。

私は驚いた。

チロが私の側で寝ている。
膝の上に乗せても、すぐ飛んでいってしまう彼女。
子供達は面倒くさいと思っているらしく、熟睡するのはいつも人気がない自分だけの場所。

そんな彼女の気持ち良さそうな寝顔を観察しながら、なんとも幸せな気持ちになった。

押し付けた時点で愛情は愛情でなくなる。
相手が喜ぶことを汲み取って、してあげるのが愛情なのだ。

子供ながらにそんなことを感じた。
いや、そこまで難しいことを考えたわけではないけど。

それでも、自分がしてあげたいことと、相手がしてもらいたいことは、一緒とは限らないんだと、まじまじと実感した瞬間だった。

彼女はだんだんと歳を取り、行動範囲もだんだんと狭くなり、眠る時間が長くなっていく。
私も大人になり、彼女の嫌がることをしないようになった。

朝、彼女は冷たくなっていた。
命が燃え尽きたのだ。

19年間を通して、幼少期の自分と過ごしてきた彼女に、私は何を教えてもらったのだろう。
そしてこれから何を学んでいくべきなんだろう。

答えはまだまだ見つからないかもしれない。
それでも今、私が捨てられた猫たちの里親になっているのは、彼女の影響が大きいだろう。
命が繋がっていく。



チロへ。

あなたほど素敵で有能な猫は、今も見たことがありません。
100万回の大好きとありがとうを送りたいと思います。

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06/29 03:21 | ワタクシ観察 | CM:2 | TB:0
とてもとても長いお話を読んだ気持ちになりました。
涙が零れました。

お久し振りですジュリアさん。

命が尽きる場面に出会うというのは
本当に大切なことだなと思いました。
私も最近、目も開かない子猫を亡くして
激しい喪失感に苛まれましたが
”死んで居なくなってしまった”ことに対して
「悲しい」とか「寂しい」といった表現ではなく
命への愛しさが強まる瞬間だということが
わかってきました。

>押し付けた時点で愛情は愛情でなくなる。
相手が喜ぶことを汲み取って、してあげるのが愛情なのだ。

まさに最近学んだことだったので
とても良い言葉で表現して下さいました。
手帳に書いておきたい(笑)。

チロが虹の橋を渡って
幸せに過ごせますように。
紗月さn>
わー!お返事遅くなってしまってごめんなさい。
ほんとお久しぶりですね♪

そうですね、身近な人や動物、大切にしていた生き物の死は、とても貴重で素晴らしいものだと思います。
特に人間以外の動物の死は、より純粋というか単純というか、純度が高いように思えるので、素直に生命の素晴らしさを教えてもらえた気がします。
当たり前のことに感謝とか意義を見いだせることって、もしかかしてすごく幸せなのかなぁって。
だから紗月さんも、幸せな体験とは言えなくても、とっても素敵な出会いだったんだと思います。

ぜひ手帳に書いてください(笑)えへへ♪
小娘の戯れ言ですが!!

悔やみの言葉、ありがとうございます。
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